好きと嫌いを両立させたい。

実家の人間に、いなくなった私をだしに使って「○○ちゃんが帰ってきたときのためにも頑張ろう」とか「楽しく暮らそうね」みたいな事をされている。多分。
なぜそう思ったかというと妹のInstagramを見たから。
あとあの人たちの思考の傾向を痛いほど知っているから。

自作自演による感動ポルノ乙…
私いなくなってよかったね…
って感じじゃないですか、そんなの。
私が病気になって初めて止んだ喧嘩、私が消息をたって訪れた一家団欒、そうやって私や他のだれかを犠牲にすることでしか自分達の関係、平和、保ててないのわかってます?

そのくせ「え?何でいつまでもつらそうなん?皆そこ乗り越えたけど?どうしていつも大袈裟なの?」と、けちょんけちょんに踏みにじりながらの上から目線で私のつらい気持ちすら否定しにかかってくる。なんなら「お前のために楽しくしてんだから幸せそうにしろよ」と強要してくる。
しかも無意識。
お前ら悪魔かよ。
しかも人に押し付けてるだけでお前らそれ全然乗り越えられてないからな。

妹のInstagramには、私の大好きな実家の庭での大好きな餅つきの写真とかあって、しかもそこにうつってるのは姉や弟の子と毒母の手や毒父の足元、私も子供の頃チャレンジした昔ながらの木のウスやキネと格闘している小さな子供達。一時は夢見たきょうだいどうしの子供達を一緒に遊ばせることとかその景色の欠片とか、そこに私が居ない現実とか。
その子供達の七五三の写真では、私も昔着た子供用の着物を着た姉の子とか、母や姉や妹の着物姿とかうつっていて、大好きな着物も、受け継がれる着物も、私の手元には何一つ無いこととか。

あとはきょうだいの中でも一番仲の良い大好きな妹の晴れ姿、人前に出る仕事をわりと選ぶタイプの妹も、わけもわからず錯乱状態で突っ走って引退休業の後、本当にいつ死ぬかもわからないくらいの時期を経て、今度はちゃんとおそるおそる、地に足つけて表舞台にあがれるように回復してたのが嬉しくて、会いたくなってしまって。しかもおそらく側でそれを祝っているのはどん底の時に寄り添って見守って支えた私ではなく毒母で、やるせなくて悔しくて。

(消えたの私ですけど。でも関わると必ず拒食になるのに関わりながら妊娠生活送るのリスク高すぎるし産後だって子育てしてたら倒れてる暇ないしどう考えても縁切って暮らすしかなくない?)

消すことのできない好きと、会えば必ずズタズタに傷つけられる現実に、ほんとに参ってしまって、ずいぶん長い間心も体もやられてしまっている。やばい。ほんとにキツい。

でも、実家と距離をおいてから今までの間にできた、少しずつ仲良くなったり信頼したりできるようになって味方だなって感じられるようになった友人達と半日かけて美味しいもの食べたりだらだら話したり子供の相手してもらったりしていたら、悩み苦しみを聞いてもらったわけでもないのに、息が苦しくなくなって緊張がほどけていて、過去の自分に飲み込まれてしまって痛くて苦しくてどうしようもなかったところから、だいぶ今に戻ってくることができた。

まだ止血中で、全然痛いけど、傷がどんどん深く大きく開いていっていたのに比べたら、かなり楽になった。

18歳の時から距離をとるぞって試行錯誤始めて、今度こそ自分の自分による自分のための人生始めるぞってやっとスタートライン立ったのが28だから多分5年くらい、完全に実家と連絡絶って4年ちょっとくらい?その間に少しずつまだまだ人間不信のままだけどそれでも積み重ねてきた今が、過去に勝ってた。
全然私昔のままじゃなかった。よかったー。

友達ってすごいね。いつもどおり一緒に居られるだけでこんなに心強いものだなんて、もっとはやく知りたかったけど、きっと今知ったからこそのこの感動の深さだから、これはこれでいいよね。
全然辛さとか苦しさとかなくて良いんだけど、ない方が絶対良いんだけど、私の辛さや苦しさが無意味なんてそれはそれでめちゃくちゃムカつくから、得るものがあってとても嬉しい。

実家の庭での四季折々の行事を実現できなくても、受け継ぐ着物が無くても、私は私の好きなことと向き合いたいし、そのためにもきちんと私は自分でもよく分からなくなってしまっている嫌だったこと、無視され続けてきた気持ちをひとつ残らず見つけ出して自分を取り戻したい。
そもそも好きなものと向き合うとき必ずそういっためちゃくちゃな気持ちとも必ず向き合わされるから、好きな事を素直に楽しめないまま死ぬのは嫌だから、嫌いも辛いも苦しいも全部何とかして受け止めて好きな事もっとできるようになろうと思う。