なぜ私がもやもやして終わったのか分かりづらかったから前回の日記の追記、私は母と改めて話をした時成人していたけど、2歳の私にちゃんと謝ってほしかったんだよね。こわかったね痛かったねごめんねって。母はあの時2歳の私に、お母さんだって傷ついてるの、余計に傷つくからそのくらいで虐待なんて言わないでって言ったんだよ。すごく痛くてこわい思いした上に火傷で利き手が不自由で遊びたくても遊べなかったあの頃の私に。そんなの許せるわけないじゃん。どう考えても酷いでしょ。記憶がよみがえったことで思い知らされて自分の子を持つまで私が子供を苦手だった原因にもなったんだけど、おそろしいことに、子供の能力って想像以上で、当時の私は母が傷ついてる事を分かってしまっていて、でも2歳の子供がそれを常に察してビクビクしながら暮らさなきゃいけないような環境は間違っているし、母は誠意をもって謝るべきだった。許すことと慰めることを強要されたのを私はずっと許せないでいるし今後許すつもりもない。恨み言は事の大きさは様々だけど他にもたくさんあって、でも話し合ってもきっとまたそれぞれに似たような事をされるだけだから、何回か試したけどされるだけだったから、もう二度と話さないし顔も見たくない。私は実家が本当に嫌い。今となってはもう記憶ごと消えてしまえばいいのにと思っている。