一緒に暮らしていたおばあちゃんが死んだ。
私は昔ものを作るのが好きな子供で、絵を描くのが好きで庭で木材の切れ端を見つけてはのこぎりとトンカチを握り野鳥を観察するための餌をのせる台をつくったり、その鳥を描いたり庭の花を描いたり、工作をしたり子供らしくあれこれ虫を捕まえてきたりハルジオンやオオイヌノフグリとか花瓶にさすのに全然向かない花を摘んできたり、あとはおばあちゃんといつも家事やお裁縫をしていた。おばあちゃんは和裁師で、綿入はんてんやかいまき、寝巻き用の浴衣等何でも作ってくれた。穴があけばお直しをしてくれて、丈をつめたり長くしたり、洋服でも何でもしてくれた。編み物も上手で、初めて私が編み物を編み物と認識した時、一本の糸がするすると布になっていく様子が魔法のようで感動したのをずっと忘れられない。私は今もそれらが好きで、できればまた手が出せるようになりたいと思っている。

今は全然好きなことに手が出せない人になっちゃったけどそれでもやっぱり未だに好きな事のルーツのほとんどはおばあちゃんで、父にも母にも結局手放しで甘えられなかった私が、満面の笑みで迎えられたときに複雑な気持ちを持たずにただいまって言えて、帰りを喜んでくれることを素直に嬉しく思える人もおばあちゃんだった。

私は失踪した人間だから、おばあちゃん子だけど、おばあちゃんの通夜や葬儀に出席しない。
それはおばあちゃんが大切にしてくれた孫である私自身を守るためだし、ひ孫である子供達を守るためだから全然後ろめたさはない。
夜中にこっそり行ってお別れしてきたし。祖母の危篤を人伝に知らせてくれた妹と5年半ぶりに直接連絡をとって誰もいないタイミングを教えてもらって誰にも知られずに、亡くなった日かその日を跨いだ頃には亡骸に会うことができた。遺髪もくすねてきた。髪が少なくなっちゃったってずっと気にしてたのにごめんね。でも「死んだら灰になるだけ後の事なんてどうにもできないんだから」って何十年も前から諦めてくれてたからさ、もらっちゃったよね。最期に一遊び付き合ってくれてありがとうね。
誰にも見つからずに夜のプールに忍び込んで泳いでくることができたみたいな、そんな達成感だった。

本当に本当に大好きで仲良しな妹とも半端なことはしたくないからと縁を切っていた。自分の事に集中したいから。あの家に関わっていたら巻き込まれて自分を見失ったままうっかり死にそうだったから、巻き込まれて拒食になっている場合ではない妊娠をきっかけに完全に縁を切った。
おばあちゃんの死によって切った縁がほんのり繋がって、やっぱり繋がったままでは子供産めてなかったなとか、相変わらず妹が大好きだなとか分かることがたくさんあった。

命はたくさんの事柄を持ってくる。産まれるのも死ぬのも同じくらい大変で、大きな変化で、大きな出来事だな。子供を二人産んでみて、命を手放すときってきっとこんな感じだって感触がちょっと分かるようになっていた。だから死んだおばあちゃんを見てショックを受けたりはしなかった。そもそも100こえてたもん。辛いことや苦しい事がおばあちゃんにもたくさんあったの私知ってるよ。それでも100をこえられるってその気力はどこからもってきてたの。私なんて17で死のうとしてたのに。本当によく生きたよね。ありがとうね。お疲れ様。

きっと父がこじれたのはおばあちゃんのせいでもあるんだろう、それでも一対一の関係で、私はおばあちゃんが好きだったし今も好き。
最期の5年半姿消してごめん。でもその間あなたの孫とひ孫は守り抜きました。本気の笑顔で迎えてくれるのが本当に嬉しかったのを、その笑顔が見られないのを、私もそれなりに我慢して、ちゃんと守ったから、その辺は許してね。

たくさんの好きなものを私にくれてありがとう。うつで動けない時、拒食で食べられないとき、毎日枕元にお茶とお菓子をありがとう。私がおばあちゃんを鬱陶しく思う日も、素直なときも、病気の時も、元気なときも、ずっと私を大切にしてくれてありがとう。お母さんが私の手を高温に熱された炊飯器に突っ込んだとき、すぐに飛んできて止めてくれてありがとう。右手は今でも無事だよ。色々ありすぎて心が凍るのと一緒に全然何もつくれなくなっちゃったけど、ちょっと頑張ってまた何かつくったり繕ったりするね。

あれもこれも、本当にありがとう。

昨日今日、通夜と葬式の間、物持ちのいい私だから、なるべくおばあちゃんにも見覚えのある服を着るから、痴呆で全然誰が誰だかわかんなくなっちゃってたようだし希望薄かもしれないけど、もし見掛けたら声かけてってください。