旦那と保険の話をしていてめちゃくちゃ悲しくなってしまった。
今二人目を妊娠中だし私は体が弱いから旦那に頼りまくって暮らしている。同一の家庭環境を体験して育った仲間というのは時に心強いので、きょうだいが仲良くなってくれる保証は無いけど育てるからには一人っ子にするつもりがなく、しばらく大変なのは覚悟の上でやっぱりもう一人欲しいと思った。
金銭面で進学させられない事態をなるべく避けたくて、学資保険を検討していて、私に何かあるより旦那に何かある方が断然リスクが高いからと、ついでに独身の時のままになっていた旦那の保険の見直しをしてきてくれた。保険の窓口系のお仕事ってほんとすごい。素人ではここまで考えるの絶対無理ってとこまでしっかり数字で出してくれて分かりやすい。そしてとても生々しい。数字なのにまるで内臓でも見てるみたいな気分だなと思った。
旦那が窓口でつくってもらった資料を持ち帰ってきて、私にざっくりと重要な点を説明していく。俺がこのタイミングで死んだら、と、何度も説明していく。それがまた生々しい。配偶者に生命保険を掛けて殺してしまう人や早死にするように不健康な料理をすすめる人とか実際に居るらしいけど、無理だーと思った。
皆いつか死ぬけど、旦那にはとにかく長生きして欲しいし健康でいて欲しい、一緒に居たい。居なかったことにはならないという点で完全に居なくなりはしないのだろうけど、触れなくなるし話せなくなるし、雑だけど忙しい合間をぬってなるべく切らさないように2~3日に一回は作っておいてくれる野菜たっぷりのスープにあれこれ言うことも、せっかく身に付けた洗濯物の干し方や家事の考え方の違いを衝突せずに擦り合わせるスキルを使うことも、自分からは滅多に愛情表現をしないけどハグを求めれば必ず応えてくれて頭を撫でてくれるその手も皆無くなってしまう。想像しただけでも悲しくて悲しくて、虐待めいた家庭で育って大人になってから極度の甘えん坊になった私が旦那無しに生きていける気がしないから、それでも生きていかなければならない状況にならないように、本当になるべく長く一緒に居て欲しいと思った。
亡くなって数ヵ月の友人の事でさえ、天気が良い日は必ず、逝ったのは晴天の日だったなと未だに思い出すのに、骨上げまでさせてもらったのに全然死んだ気がしないなと未だに数日に一度は思うのに、自分の旦那がと想像すると、私は寂しくて悲しくて死んでしまうかもしれないと思った。
ちょいちょい怖い目にあってきて最悪を想像する癖がついているから、具体的にその時自分がどうなるか映像で浮かんでしまって勝手に泣いていた。金銭面で切迫しない工夫をして、関係が円満な旦那の実家で暮らすことである程度サポートが望めるから暮らしに不便は少ないとしても、大切な人の居ない生活は辛く悲しい。自ら命を絶つことはしないというのはポリシーだけど、それすら揺らいでしまうだろうなと想像がつく。子供のためにも死にはしないだろうけど、しばらくどこか死にたいまま暮らすんだろうな、私は。実際にはどちらが先に逝くかもわからないし、全然そんな事になる予定なんて無いのだけど。
自分がそのくらい旦那を大好きだって事はとても嬉しかった。両親の不仲に振り回されて育ったから、なりたくないと願ったものにならずになりたいようになれているなと安心した。
大切な人を大切に思える暮らしが心地いいから、これからも頑張ろう。