赤ちゃんを上司に見立てて育児の大変さを説明したツイートを見掛けたが私には仕事をした経験がほとんどないから分からない。
でもすぐに死のうとする自殺未遂癖のある大人のために24時間365日音がなるようにしたケータイを枕元に置き必ず出られるようにし、必要があれば駆けつける暮らしに比べたら、全身全霊で生きようとする子供の世話はいくぶん楽だなとは思っている。子供は目の前に居るから危ない事になってても間に合う可能性高いしまだ知恵も無いからバレないように死ぬとかもないし大体手の届くとこに居てくれるもんなー。
大人の世話は赤ちゃんと違って一緒に暮らしていないから余計、間に合わないかもしれない緊張感でほんとキツかったなー。今も生きてるし多分以前のように死のうとしてはいなさそうなので一番しんどいときを支えられたのかなと思うとよかったんだけど。
って考えると私仕事できるのかなぁ?
でもPTSDあるからなー。ブラッシュバックして勝手にしんどい頃の習慣引っ張り出してしんどくなる癖抜けないと仕事もしんどいよねー。持っている能力とはまた別の話かー。

なぜ私がもやもやして終わったのか分かりづらかったから前回の日記の追記、私は母と改めて話をした時成人していたけど、2歳の私にちゃんと謝ってほしかったんだよね。こわかったね痛かったねごめんねって。母はあの時2歳の私に、お母さんだって傷ついてるの、余計に傷つくからそのくらいで虐待なんて言わないでって言ったんだよ。すごく痛くてこわい思いした上に火傷で利き手が不自由で遊びたくても遊べなかったあの頃の私に。そんなの許せるわけないじゃん。どう考えても酷いでしょ。記憶がよみがえったことで思い知らされて自分の子を持つまで私が子供を苦手だった原因にもなったんだけど、おそろしいことに、子供の能力って想像以上で、当時の私は母が傷ついてる事を分かってしまっていて、でも2歳の子供がそれを常に察してビクビクしながら暮らさなきゃいけないような環境は間違っているし、母は誠意をもって謝るべきだった。許すことと慰めることを強要されたのを私はずっと許せないでいるし今後許すつもりもない。恨み言は事の大きさは様々だけど他にもたくさんあって、でも話し合ってもきっとまたそれぞれに似たような事をされるだけだから、何回か試したけどされるだけだったから、もう二度と話さないし顔も見たくない。私は実家が本当に嫌い。今となってはもう記憶ごと消えてしまえばいいのにと思っている。

私の一番古い記憶は2歳の時で、多分3歳になる数ヵ月前~直前くらいだと思うんだけど、お父さんがまたずっと怒ってるからお母さん疲れてるな、笑ってほしいから何かお手伝いしようって、これならできるなと思って、お母さんに「おかま(炊飯器)のスイッチいれとくね!」って言って押したんだよね。それで、「うん、いいよー」って言われた。母はいいよーって、しなくていいよのつもりだったのかもしれないけど、私はありがとうって意味に受け取って手伝えたって勝手に嬉しくなっていたら、しばらくしてすごい剣幕で名前を呼ばれて、びっくりして台所に戻ると、「炊飯器空焚きになっちゃったじゃない!おうちが火事になったらどうするの!こんなに熱くなってるのよ!さわってみなさい!」って言われてあつあつの炊飯器に右手を突っ込まれて、びっくりしたし信じられないくらい痛いしぎゃーっと叫ぶように泣いたらおばあちゃんがすっ飛んできて「なにやってるの!」っておっきい声出して止めてくれた。でも火傷して手のひら全体が水ぶくれになってて、皮膚科に駆け込んで処置してもらった。季節は夏で、後日ガーゼや包帯をかえに皮膚科に行って帰ってきたら、庭に出てるビニールプールで姉が遊んでたから、入れないけど参加したくてじょうろでシャワー作ったりしてたら転びそうになって咄嗟にプールの中に利き手である右手をついてしまいびしょびしょにしてしまって、「きれいにしたばっかりなのに何やってるの!」って母に怒られて、元々はお母さんのせいじゃんって思ったのを言わずに飲み込んだこともセットで覚えてる。
詳細に覚えているのには理由があって、小6の時、中学校に上がる関係で担任が書類作ってる所に呼び出されて「一年生の時と今と、住所が違うけど合ってる?」って言われて、すっかり封印されてた別居してた記憶とか、犬を飼い始めたり子供が成長したりで(多分別居解消する時の条件でもあったんだろうけど)少し穏やかになってた父の、かつてのDVによって母がぼっこぼこにされてる記憶とか、顔がアザだらけになって片目があかなくなってるその母の顔とか、とにかく父の身体的暴力の強かった頃の記憶のついでに火傷の事も思い出したので、普通覚えてないくらい小さい頃の事だけど、かなり鮮明な映像と音声付きで思い出した。信じられなくて夢かと思ってしばらく固まってたんだけど書類が目の前にあるし、現実だなと思って「はい、合ってます」って答えた。
さすがにしばらく混乱したけど、人間何でも忘れるもんだな怖いなって感じた後で、無かったことにされるところだったし思い出せてよかったと思ったので、その記憶の頃よりは落ち着いてるけど相変わらず怒鳴るし暴力的な父はおいといて、母には何かのついでに「手の火傷の事も謝らないくせに」って言ったんだよね。母は普段、私は正しい、私が正義だ、父は悪だとすりこんでくるくせに、「謝ったわよ…」って言って逃げた。ねぇ私謝られた覚えないよ。伝わってなきゃ意味無くない?しかも2歳の時の事を私が覚えているはずがないからって、私がおばあちゃん子だからっておばあちゃんが吹き込んだんだと決めつけて悪者を増やして私に確認もとらずに攻撃的になってるし…。仕方無いから思い出した経緯も説明した。でもおばあちゃんを悪者にしたことは謝らなかった。二十歳を過ぎてから、お母さんから受けた虐待の事について改めて話してすっきりしておきたいって言って切り出して、思春期のぶっきらぼうな物言いじゃなくてちゃんと思い出した経緯も、詳細に覚えてることも、おばあちゃんのせいにされて嫌だったことも、伝わってないからちゃんと謝ってほしいことも、全部説明しなおして、謝ってもらったんだけど最後に「でもね、あんなことになると思ってなかったの、子供の皮膚が想像以上に薄くて、大人なら熱そうなお鍋の取っ手とかも一瞬さわって温度を確認できたりするじゃない?そのくらいで済むと思ってたの。だから虐待じゃないの。お母さんも傷つくから、もう二度と虐待って言わないで。」って言われて私の気持ちには結局蓋をされた。全部言い訳じゃん、私は全然すっきりしなかったし父は悪、母は正義、みたいに刷り込まれたけれどどちらも悪だった事、薄々分かっていたけど、想像以上だったって気付かされた。私の気持ちを受け止めに来たと見せかけて自分がすっきりしたかっただけ。私に「分かった、もう虐待とは言わないよ」って言わせてもやもやを押し付けてすっきりした顔で帰っていったのを見て、母親としての役割を期待するのはやめようと思った。そこできっぱりやめられたわけじゃないけど、だめなんだなって確認がとれた出来事だった。
自分が子育てしていると頻繁に思い出すんだよね。今ちょうど自分の子供が、私が火傷させられたくらいの時期に差し掛かる頃だし。確かにイライラさせられる時期だ。私も、旦那は忙しくて朝早いし夜遅いし、体の弱い妊婦だから引きこもりがちで昼間ずっと二人で缶詰で過ごしてると、ついペチンと手が出たりする日も、言っても伝わらないって分かってる事で必要以上に怒ってしまう日もあって、そんな事がある度同じようになっていないかと怖くなる。わざわざ怪我までさせようとは思わないけど。はやく2歳終わらないかなと思いつつ、はやくなんて無理だし子供の成長ははやいから、無事に2歳を終えられますようにって毎日毎日どこへともなく、自分自身に祈ってる。もっと丁寧にしてあげられたらいいのになって事いっぱいあるのにごめんねって思いながらの精一杯で、どこまで安心感や満足感を与えてあげられるかな。ずっとにこにこして大好きだよってだけ言えたらいいのになと思ったり、でも2歳児の育児なんてこんなもんだよねトラウマのせいであんまり過敏になるのも良くないよね、と思ったりしている。本当に、無事に2歳を乗り切ることができますように。

旦那と保険の話をしていてめちゃくちゃ悲しくなってしまった。
今二人目を妊娠中だし私は体が弱いから旦那に頼りまくって暮らしている。同一の家庭環境を体験して育った仲間というのは時に心強いので、きょうだいが仲良くなってくれる保証は無いけど育てるからには一人っ子にするつもりがなく、しばらく大変なのは覚悟の上でやっぱりもう一人欲しいと思った。
金銭面で進学させられない事態をなるべく避けたくて、学資保険を検討していて、私に何かあるより旦那に何かある方が断然リスクが高いからと、ついでに独身の時のままになっていた旦那の保険の見直しをしてきてくれた。保険の窓口系のお仕事ってほんとすごい。素人ではここまで考えるの絶対無理ってとこまでしっかり数字で出してくれて分かりやすい。そしてとても生々しい。数字なのにまるで内臓でも見てるみたいな気分だなと思った。
旦那が窓口でつくってもらった資料を持ち帰ってきて、私にざっくりと重要な点を説明していく。俺がこのタイミングで死んだら、と、何度も説明していく。それがまた生々しい。配偶者に生命保険を掛けて殺してしまう人や早死にするように不健康な料理をすすめる人とか実際に居るらしいけど、無理だーと思った。
皆いつか死ぬけど、旦那にはとにかく長生きして欲しいし健康でいて欲しい、一緒に居たい。居なかったことにはならないという点で完全に居なくなりはしないのだろうけど、触れなくなるし話せなくなるし、雑だけど忙しい合間をぬってなるべく切らさないように2~3日に一回は作っておいてくれる野菜たっぷりのスープにあれこれ言うことも、せっかく身に付けた洗濯物の干し方や家事の考え方の違いを衝突せずに擦り合わせるスキルを使うことも、自分からは滅多に愛情表現をしないけどハグを求めれば必ず応えてくれて頭を撫でてくれるその手も皆無くなってしまう。想像しただけでも悲しくて悲しくて、虐待めいた家庭で育って大人になってから極度の甘えん坊になった私が旦那無しに生きていける気がしないから、それでも生きていかなければならない状況にならないように、本当になるべく長く一緒に居て欲しいと思った。
亡くなって数ヵ月の友人の事でさえ、天気が良い日は必ず、逝ったのは晴天の日だったなと未だに思い出すのに、骨上げまでさせてもらったのに全然死んだ気がしないなと未だに数日に一度は思うのに、自分の旦那がと想像すると、私は寂しくて悲しくて死んでしまうかもしれないと思った。
ちょいちょい怖い目にあってきて最悪を想像する癖がついているから、具体的にその時自分がどうなるか映像で浮かんでしまって勝手に泣いていた。金銭面で切迫しない工夫をして、関係が円満な旦那の実家で暮らすことである程度サポートが望めるから暮らしに不便は少ないとしても、大切な人の居ない生活は辛く悲しい。自ら命を絶つことはしないというのはポリシーだけど、それすら揺らいでしまうだろうなと想像がつく。子供のためにも死にはしないだろうけど、しばらくどこか死にたいまま暮らすんだろうな、私は。実際にはどちらが先に逝くかもわからないし、全然そんな事になる予定なんて無いのだけど。
自分がそのくらい旦那を大好きだって事はとても嬉しかった。両親の不仲に振り回されて育ったから、なりたくないと願ったものにならずになりたいようになれているなと安心した。
大切な人を大切に思える暮らしが心地いいから、これからも頑張ろう。

ほんとにむり。つらい。

↑ここから固まって何も書けなくなって2時頃寝た。
鬱ってこんなだったなーそうそうこれこれって感じ。2日くらい頭洗えてない無理すぎる。そんなに無理だったっけ?って思う時間が長くなってきたのはとても良いことだけど、この忘れてる感。よく言う当事者と元当事者の壁ですよね。すごい深い溝。谷。どーんと崖に阻まれてる感じ。
つらいー。頭重いしだるいし起き上がりたくないけどずっと寝てても立ちくらみ悪化するし。何かあったわけじゃなくて体調悪くして先週寝込みすぎて自律神経やられたんだよねー。もうやだー。
うつ病超真っ只中の人は年中これでしょ?やばいねー、清潔にしてごはん食べて午前中起きてたまに散歩してそれすら苦行だよね私二日間頭洗えてないよ。膀胱炎になりたくないから体は軽く流してるけど。昔は長くて2週間くらい風呂入れなかったり5日間くらい歯も磨けなかったりしたもんな。あの頃よく入院しなかったよね。拒食でろくな食事もとれなくなってたのに親も入院させようと思わなかったのクソだなっていつも思う。親が私に対して気の持ちようで治ると思ってたのほんとに未だにむかつく。
あー、そんなのもう記憶ごと死ねって感じだけど生活してて出てくる思うようにいかないごくごく細かい事でイライラする。全然余裕がない。ほんのちょっと動くとこぼれたりあふれたりするくらい器の中に並々につらいが入ってる。もうやだ。はやく抜けろ。

病んでるとブログ書きがちだー。ほぼ誰も見てないし。でも見てるの誰だろ。うーんまあいいか。
私小さいときは男になりたかったんだよね。幼稚園の頃に女でもかっこよくなれるんだなーって思ってスーパーモデルに憧れて、小さい時背の低かった子は大人になるとでかくなるって法則を信じて背の順前から三番目とかの私はいつかあんなかっこよくなりたいって思ってた。あわよくば男になりたいけど難しそうだからせめてなるべくかっこよくなりたかった。全然やんちゃでもなくおとなしくて静かなどちらかというと優等生とか良い子タイプだったんだけど小学生になるとスカートはほぼはかなくなっていて、それでも別に男っぽくはなかったけど何となく男になりたかった。中学生になって入学式で突然クラスメイトの女の子にかわいいと言われて、後にその子は私をいじめることになるので仲良くもならなかったし仲の良い友達もできなかったけど、ちょっとびっくりした。多分ずっと新品の服をほぼ買ってもらえない家で育ったからかわいい格好とかしたことなかったんだけど、制服になって印象変わったのかな。かっこよくなりたい、自分の顔嫌いしか頭になかったからめちゃくちゃびっくりしたしそれなりにショックだった。そして身長が伸びなくて。小学校行ったら、中学生になったら、伸びるってずっと思ってたしそう周りに言ってたけど全然だったので男になるのもかっこ良くなるのも高校生になる頃にはキッパリ諦めた。今ではなりたいとも思わないくなったけど。妹は「○○ちゃんのお姉ちゃん(私)かわいいねって言われるけど○○ちゃんかわいいねとは言われないの」ってわざわざ私に言って来て凹んでいたし見た目が逆なら良かったのにとは思う。フリフリが好きだけど圧倒的にかっこいい服が似合う妹と、チビ童顔だけど女の子らしい服やフリフリが気持ち悪い(徐々に克服した)私と。
なんの話で終わらせたいのか忘れた。とにかくこんなんでもはるか昔男になりたかったんだ私は。マイノリティの枠に飛び込むほどそこに情熱や執着を向けられなかったけれど。一度だけバイっ気のある女友達と割りきりでエロい事したしまた別の女の子に恋もしたけど。告れなかったなー。告白するより割りきりでエロいことする方が全然ハードル低いよー。あとさーこんなに病弱なやつが女の子好きになって告ったとしても何の支えにもなれないじゃん、て思ったらただでさえ厳しい道なのに女の子との未来も諦めちゃうよねー。私じゃない誰かと一緒になるとかしてくださいって思っちゃうよねー。はぁー。男性と結婚して普通に女性として暮らしていても私は全然大丈夫なタイプだったし幸せだけどね。思い切って一度くらい女の子とお付き合いしてみたかったとは思うかなー。私と付き合ってもいいって思ってくれてた女の子は今まで出会った中に一人くらい居たのかな。全部今更だけど。
病んでるのと全然違う話書いてたらだいぶ気が紛れたぞー!寝るぞー!

何か書こうと思ったけど忘れたやつ思い出した。どっぷり寄りかかって依存してくる人が苦手って話だ。精神的に参っているからって依存してくる人ばかりじゃなくて、悩んで思考がループしてて抜け出せないことと、それを打ち明けることで共依存に持ち込もうとしてくることは完全に別物で、人に相談しているうちにだんだん共依存になってしまうことは前者にもあるのかもしれないけど、最初からそうしようとする後者ほど厄介ではない。
うまい言葉や専門用語は分からないけど、ベッタリ癒着して安心しようとしてくる人に付き合うのは気力と体力がいるんだよね。少なくとも私には。それでもいいからくっついて今は支えになろうってできる相手って家族くらいじゃないかな。それでも疲れちゃって肉親とは家族でいる事自体をやめちゃったけど。良くならない関係性の中で疲弊するより自分の事を集中してケアしたくて。
それがトラウマってこともあるんだけど、家族でもない人間に依存目的で近付かれるの本当に無理で、でも相手は大体無自覚なんだよね、病的な関係を望んでしまっている事を分かってなくて、共依存だって気付いてないけど共依存の気持ちよさは知っている。そういうタイプの人がこわくて苦手だ。やっぱトラウマなんだろうな。